【ミッドライフクライシス】中年の私の中の「やりすぎ」と「中庸」

人生の岐路に立ち、これまでの歩みを振り返ると、一つの結論にたどり着く。それは、何事も「やりすぎた」のではないかという思いだ。自制心が効かない、あるいは欲求に忠実すぎる性分が、私の人生を形作ってきたと言えるだろう。

中庸に学ぶ 運命を拓く立命の書/致知出版社/伊與田覺

1. 人間の三大欲求と私

睡眠:
休日には長時間眠り続け、加齢とともに睡眠時間は減少したとはいえ、それでもなお、たっぷりと眠り、昼寝を取り入れることも少なくなかった。身体が求めるままに、時間を惜しまず睡眠に浸ってきた。

食欲:
言うまでもなく、過食を繰り返す日々だった。一時的に節制を試みるものの、旅行や長期休暇となると、たちまちその箍が外れる。「せっかくだから」という誘惑に負け、美味しいものを際限なく食べ、満腹感とともに自制の効かない自分を実感する。

性欲:
「健康のバロメーター」という都合の良い言い訳のもと、特に自制することなく、欲求のままに行動してきた。

2. 日常生活に見る「やりすぎ」

三大欲求に留まらず、日常生活のあらゆる場面で私の「やりすぎ」

飲み会・食事会:
飲み過ぎ、食べ過ぎは常だった。特に「割り勘」というシステムは、私の心に秘めた「食べなきゃ損、飲まなきゃ損」という卑しい欲求を解き放つきっかけとなった。酒が入ればさらに自制が効かなくなることは承知の上でも、なかなかその連鎖を断ち切ることはできなかった。

旅行・レジャー:
朝早くから出かけ、夜遅くまで遊び尽くす。合理的に考えれば、時間を最大限に活用する最適化された行動かもしれない。しかし、翌日に残る疲労感は拭えず、身体への負担は否めない。

3.問題解決能力という名の迷走

本来、良いこととされるはずの問題解決能力も、私にとっては「やりすぎ」の一因だった。体力の低下、身体の痛み、あるいはミッドライフクライシスに代表されるメンタルの不調を実感すると、いても立ってもいられなくなる。調べずにはいられない、考えずにはいられない、そしてその問題を解決せずにはいられない。

最善を尽くすと言えば聞こえは良いが、実際にはあれこれと手を尽くし、右往左往する「迷走」に近い。直線的に解決に向かうのではなく、蛇行し、時には後戻りしながら時間をかけて進んでいくような感覚だ。

4. 男性性と問題解決、そして新たなステージへ

人間は多かれ少なかれ、このような特性を持っているのかもしれない。特に男性性の中には、問題解決能力が突出して備わっていると感じる。問題を後回しにせず、先延ばしにせず、前もって準備し、優先順位を決めて取り組む。

人生の前半においては、この特性が良いきっかけとなり、多くの問題を解決へと導いてくれた。しかし、人生の後半戦を迎えるにあたり、私は新たなテーマを見出している。それは「自分のペースで新しいものを始め、実感を持った生活を送る」ことだ。

5. 結論:お釈迦様の教えに学ぶ「中庸、中道」

今、ここに一つの結論を導き出したい。お釈迦様が説かれたように、「中庸、中道(ちゅうよう、ちゅうどう)」「ほどほどに」が良いのではないか、と。極端に走らず、過剰になることなく、バランスの取れた生き方こそが、これからの私の人生を豊かにする鍵だと信じている。

なかなかそのいい塩梅が実行できないんだけどね!

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