
「ありのままでいい」が苦しいあなたへ。人生の“踊り場”で考えたこと。
「ありのままで、いいんだよ」
最近よく耳にする、優しくて、心地よい響きの言葉。
でも、あなたはこの言葉を素直に受け取れていますか?
どこかで「そんなのきれいごとだ」「今のままの自分でいいわけがない」なんて、少しだけ反発したくなる気持ちが湧いてくることはありませんか?
何を隠そう、私自身がその「きれいごと」という言葉に、ずっと心をざわつかせてきた一人なのです
ありのままの私で人づきあいが楽になる366の質問 [ たぐちひさと ]その「ありのまま」、本当にあなたのもの?
なぜ、私たちは「ありのままでいい」という言葉に、素直になれないことがあるのでしょうか。
最近、ふと思ったんです。
本当の意味で「自分は自分のままでいい」と心から思えるのは、たくさんの経験を積み、誰かに認められたいという欲求(マズローの言う他者承認欲求)をある程度満たした人が、ようやくたどり着く境地なのではないか、と。
他人と比べるステージを乗り越え、「自分は自分」という確固たる軸を見つけた人が、自分自身に贈る勲章のような言葉。それが「ありのままでいい」なのかもしれません。
そう考えると、まだ何者かになろうともがいている私たちがこの言葉を聞くと、まるでゴールテープを切った人から「走らなくても大丈夫だよ」と言われているような、そんなチグハグな気持ちになるのも、無理はないのかもしれません。
「勝ち」にいくのをやめて、「負ける」ことにした
これまでの私は、いつも何かを「獲得」することに必死でした。
会議では爪痕を残そうとし、交流会では人脈を広げようと躍起になる。常にコスパを考え、どうすればもっと効率よく手に入れられるかばかりを考えていました。いわば、「勝ち」にいく姿勢です。
でも、最近はもう、その執着を手放そうとしています。
むしろ、意識的に「負ける」ことに専念している、と言った方が近いかもしれません。
無理に自分を押し出さない。流れに逆らわない。去るものを追わず、来るものを拒まず。
ガツガツと獲りに行くのをやめたら、少しだけ肩の力が抜けて、新しい景色が見えるんじゃないか。そんな実験の真っ最中です。
ようこそ、人生の“リミナリティ”へ
…なんて格好つけてみましたが、正直に告白します。
この「執着を捨てる」という新しいステージ、想像以上にしんどいです(笑)。
安定していた居心地の良い場所(コンフォートゾーン)から勇気を出して飛び込んでみたら、そこは不確実で、足場がぐらつく不安定な場所(ストレッチゾーン)でした。いわゆる「中年の危機」を乗り越えるためのジャンプだったはずが、とんでもないストレスにさらされています。
でも、専門家はこういう状態を「リミナリティ」と呼ぶそうです。
サナギが蝶になる前の、ドロドロの液体のような状態。ある状態から次の状態へと移り変わる、境界線上の“通過儀礼”なのだと。
そうか、これも一つのトランジション(移行期間)なんだ。乗り越えるしかないんだな。
…おっと、いけない。
「もう頑張るのはやめたはずじゃないか」と、心の中のもう一人の自分がツッコミを入れます。
そうでした。「乗り越える」なんて力むのも、もうやめたんでした。
今は、このグラグラする足元も、ストレスを感じてしまう自分も、そして「頑張らないぞ」と決めたはずなのに、つい力んでしまう不器用な自分も。
そのすべてを「まあ、いっか」と受け入れてみる。
もしあなたも今、人生の“踊り場”で立ち尽くしているような感覚なら。
焦らなくても大丈夫。
私たちは今、変化の真っ只中にいる、ただそれだけなのかもしれません。

