
はじめに:人生の第1章【クリア】
48歳を迎え、ふと自分の人生を振り返ると、まるで映画の第1章が終わったかのような心境になりました。家族、仕事、人間関係という「ファーストステージ」「セカンドステージ」「サードステージ」で、自分なりの満足のいくクリア条件を満たしたと感じています。後悔はありません。しかし、その先に待っていたのは、行く先を失ったことによる虚無感と焦りでした。
他人と比較しないだけで幸せになれる 定年後をどう生きるか/幻冬舎/加藤諦三
ファーストステージ:家族との関係【クリア】
- 父母へ
世話を焼き、時にうるさく言うこともありますが、自分なりに親孝行はやりきったという自負があります。後悔はありません。 - 妻へ
50歳を前にキャリアブレイクを経験し、妻との関係を深めることの重要性を再認識しました。今では、土日に二人でコーヒーを飲みながら語らう時間が何よりの幸せです。夫婦仲は順調そのものです。 - 子供たちへ
長女が中学生になるまでは、家族4人で本当にたくさんの時間を過ごしました。コロナ禍も重なり、子供たちは自分たちの世界を築き始め、親が介入する余地はなくなりました。しかし、これも自然な成長の過程です。「もっと遊んでやればよかった」という後悔もなく、子供たちの成長を見守れたことに満足しています。
セカンドステージ:仕事の栄光と挫折【クリア】
仕事は、20代、30代の自分を形成した戦場でした。
- 栄光の時代(20代〜30代)
がむしゃらに働き、ストレスMAXの日々を送りながらも、地位や評価を確立しました。資格取得にも励み、紆余曲折ありながらも最終的には結果を出し、自己肯定感を高めることができました。 - 転機と挫折(46歳)
大きな現場に配属された46歳、ミッドライフクライシスの真っただ中でした。自覚した加齢による記憶障害。若い頃のように仕事が覚えられない現実に、プライドは打ち砕かれました。知識や経験を若手に継承したいという理想とは裏腹に、自分自身が「ポンコツ」になっていくのを痛感しました。
ここで導き出した答えは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」。
現役の第一線から退くという決断は挫折でしたが、今思えばちょうど良い潮時だったのかもしれません。こうして、仕事という第2幕のエンドロールが流れました。
サードステージ:人間関係の熱狂と静寂【道半ば】
コロナ禍は、私にとって人生を変える転換期でした。
- 熱狂の時代(コロナ禍明け)
ソーシャルディスタンスの鬱憤を晴らすかのように、飲み会、旅行、サークル活動に明け暮れました。SNSで「いいね」をもらい、乾杯の写真をアップする。外からの評価をモチベーションに、人間関係を広げた数年間は、躁状態だったのかもしれません。 - 静寂と内省の時代(現在)
しかし、関係が深まるにつれ、ライフステージや立場の違いからくる格差が、無言のうちに人間関係をギクシャクさせました。その「人間関係疲れ」から、今は一人でいること、家族と過ごすことを選んでいます。
人間関係を断捨離したことで、SNSなどで得られる「外発的モチベーション」の虚しさに気づきました。「自分は自分のままでいい」という内側からの「内発的モチベーション」自己肯定感が生まれ、自分の本当にやりたいことに時間を使えるようになったのです。
このステージは、他者との関係が希薄になった「バッドエンド」のようですが、最も大切にすべき家族との絆が深まった「ハッピーエンド」とも言えます。失敗から学び、次へ繋げる。サードステージはまだ道半ばです。
人生前半戦の総括:95点の達成感と、その先の虚無
家族、仕事、人間関係。これまでの人生を自己採点するなら95点。
我ながら評価に値する前半戦だったと思います。
しかし、思い描いたことを成し遂げた先に待っていたのは、虚しさ、焦り、不安といったミッドライフクライシスの感情でした。
それはまるで、目の前にぶら下げられたニンジンを追いかけて走り続け、ついにそのニンジンを食べてしまった馬のよう。目的を失い、次にどこへ向かって走ればいいのか分からなくなってしまったのです。
48歳、人生後半戦のスタートライン
人生には前半戦と後半戦があり、それぞれに違うルール、違う景色が広がっている。そのことに気づいたのは、ごく最近のことです。
がむしゃらに問題を解決し、最短距離で承認や地位を求めた前半戦は、46歳で幕を閉じました。そこから2年間、惑い、悩み続けました。そして今、49歳の私は、人生後半戦のスタートラインに立っています。
明確に言うのならば、人生の前半戦とは真逆の価値観で、日々をゆっくり過ごしていこうかと思ういます。
- 他者と比べず、評価も求めない。
- 「頑張る」のではなく、自分のペースを掴む。
- コスパやタイパを重視しない。
- 自分が本当に「やりたいこと」「好きなこと」を優先する。

