
「ああ、また月曜日か…」
けたたましく鳴り響く目覚ましを、重い手で止める朝。あなたも、こんな風に一週間を始めていませんか? かつては当たり前だったこの日常が、今ではどうしようもなくストレスフルなものに感じられる。僕も、ずっとそうでした。
週5日、満員電車に揺られ、決まった時間に会社に着く。降りかかってくる仕事や人間関係のストレスに耐えながら、ひたすらに「MUST(〜しなければならないこと)」をこなしていく毎日。その対価として安定した給料は手に入るけれど、その代わりに、自分の心からの「WANT(〜したいこと)」は、少しずつ、しかし確実に削り取られていく。
そんなサラリーマン人生を、僕は長い間、ひたすらに走り続けてきました。そしてある日、ふと気づいてしまったのです。人生というマラソンのゴールテープは、とっくに過ぎ去っていたことに…。
これは、そんな僕が「中年の危機」、人生の後半戦をどう生きるかを見つけ出した、ささやかな冒険の物語です。
ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ【電子書籍】[ 山瀬功治 ]1.「もう辛い」 – がむしゃらだった前半戦の光と影
振り返れば、人生の前半戦は「成長」という名の麻薬に酔いしれていたのかもしれません。
20代、30代の頃は、すべてが刺激的でした。本屋に駆け込んでは自己啓発本を読み漁り、「インプットとアウトプットが大事だ!」と息巻いて、がむしゃらにスキルを磨き、人脈を広げました。寝る間を惜しんで仕事に打ち込み、成果が出れば素直に嬉しかった。上司に認められ、後輩に頼られることにも、確かな喜びとやりがいを感じていました。
それはまるで、険しい山をひたすら登っているような感覚。苦しいけれど、一歩一歩、確実に景色が変わっていく。そして30代も後半に差しかかった頃、ふと後ろを振り返ると、自分が驚くほど高い場所まで登ってきていることに気づくのです。「よくやったな、俺」。そんな達成感と充実感が、僕の心を確かに満たしていました。
この頃の僕にとって、「MUST」は決して苦痛なだけのものではありませんでした。それは自分を成長させるための試練であり、乗り越えるべき壁でした。その我慢と努力の先に、輝かしい未来が待っていると信じて疑わなかったのです。
2.人生のマラソンと「42.195歳のゴール」
よく「人生はマラソンだ」と例えられますよね。もしそうなら、その折り返し地点、あるいは前半戦のゴールは、一体どこにあるのでしょうか。
僕は、そのゴールは男性の後厄「42.195歳」だったのではないか、と思うのです。
フルマラソンの距離、42.195キロ。その数字をそのまま年齢に当てはめてみてください。ちょうど、多くの人が前厄・本厄・後厄を終え、心身の変化をはっきりと自覚し始める頃と重なりませんか? 鏡を見れば増えた白髪やシワが目につく。徹夜なんて、もってのほか。若い頃のように無理が利かなくなり、体の急激な衰えを、ごまかしようもなく感じ始める年齢です。
本来なら、この「42.195歳」という地点で一度立ち止まり、盛大にゴールテープを切るべきだったのかもしれません。「ここまでよく頑張った!」と自分を労い、汗を拭い、ゆっくりと給水しながら、自分の現在地を確かめる。そんな時間があってよかったはずなのです。
しかし、その頃の僕はどうだったか。まだ体力には少し自信があったし、「まだまだ成長できる」という幻想も手放せずにいました。何より、がむしゃらに走っている最中に、ふと「何のために走っているんだっけ?」「ゴールはどこだ?」なんて考えることのほうが、よっぽど辛い。
だから、僕は思考を止めました。ただ目の前の道を、生業としての仕事を、無心でこなしていく。そのほうがずっと楽で、将来への漠然とした不安からも目を背けることができたのです。それはまるで、回し車の中をひたすら走り続けるハムスターのような「思考停止状態」。皮肉なことに、その状態がいつしか心地よくさえ感じられていました。
3.走り続けた先にあった「中年の危機」
思考停止という名の「ぬるま湯」。それにどっぷりと浸かっていた僕に、それは突如として、しかし確実に訪れました。いわゆる「中年の危機、ミッドライフクライシス」です。
ある朝、いつものようにパソコンを開いたとき、画面の文字が霞んで見えました。昨日まで覚えていたはずの人の名前が、喉まで出かかっているのにどうしても出てこない。集中力はすぐに途切れ、あれほどあった仕事への意欲が、まるで潮が引くように消え失せていく。
自分の老化、パフォーマンスの低下、記憶力・集中力・意欲の減退…。
そんな数々の変化が、もう見て見ぬふりはできないレベルで押し寄せてきたのです。僕の中で「何かが失われていく」という感覚がどんどん膨らんでいき、ある日、それはコップから水が溢れ出すように、心の叫びとなって噴き出しました。
「もう疲れたよ…。ところで、俺が目指してたゴールテープって、どこにあるんだっけ?」
疲れ果て、ついに走るペースを落とした時、僕は初めて立ち止まることを自分に許せました。そして、これまで走ってきた道のりと、これから走るべきゴールまでの距離を改めて確認しようとした時、愕然としたのです。
僕が切るべきだったはずの、42.195歳のゴールテープ。それは、もう遥か後方で、風に虚しくなびいていました。
とっくに通り過ぎていたのです・・・。
走り続けることに慣れきって、走る意味そのものを見失ってしまった。その事実に気づいた瞬間、強烈な焦燥感と、言葉にできないほどの喪失感が、僕の全身を襲ったのでした。
4.人生の後半戦は「WANT」で生きる
サラリーマンという生き方には、いくつかの目に見える目標、いわば「発達課題」のようなものがあります。
- 地位と安定:会社で出世し、確固たる地位と安定した収入を築く。
- 家族形成:素敵なパートナーと愛を育んで結婚し、子を授かり、一家の大黒柱として家族を背負う。
- マイホーム:「男の城」とも言える自分の家を手に入れる。
幸いなことに、僕の場合はこれらの課題を一つひとつクリアし、資産形成もそれなりに順調に進んでいました。資本主義社会における「成功」の一つの形、その壁を越えてしまった、と言えるのかもしれません。
だからこそ、燃え尽きてしまったのです。壁の向こうには、広大な平野が広がっているだけでした。
「さぁ、この後どうする?」
心の中のもう一人の自分が、そう問いかけてきます。
「〜しなければならない」という「MUST」のタスクリストは、もうほとんど残っていません。
では、この先の人生、一体何を道しるべに進んでいけばいいのか?
その答えは、意外なほどシンプルでした。
これまでの人生で、ずっと後回しにしてきたもの。それが、僕の新しいコンパスになったのです。
結論:レベル1からの新たな冒険へ
この虚無感を乗り越えるには、もう一度、予測不可能なカオスの世界へ飛び込むしかない。
そう、まるで新しいロールプレイングゲーム(RPG)を始めるように、レベル1から新たな冒険をスタートさせるのです。
これまでの人生は、攻略本を片手に進めるようなものでした。良い大学に入り、良い会社に就職し、出世街道を歩む。そんな「推奨ルート」をひたすら進んできました。装備もレベルも十分に上がり、ラスボス(資本主義社会のゴール)も倒した。しかし、エンディングを迎えた後の世界で、途方に暮れてしまったのです。
だから、これからは攻略本を捨てます。
これまで「MUST」に捧げてきた時間を、今度は心からの「WANT(やりたいこと)」に使っていきたい。子供の頃に夢中になったプラモデル作りを再開するのもいい。ずっと弾いてみたかったギター教室の門を叩くのもいい。全く未知の分野であるプログラミングを学び始めるのも、面白そうだ。
大切なのは「伸びしろ」があるものに時間を費やすこと。そして、何よりも自分の「やりたい」という気持ちに正直に生きることです。予測不能な未来を、不安がるのではなく、ワクワクしながら楽しんでいく。
人生の前半戦で手に入れた経験や知識、そして資産は、後半戦を冒険するための強力な「初期装備」になります。もう、ゼロからのスタートではありません。
もしあなたが今、僕と同じように人生の道半ばで立ち尽くしているのなら、一緒に新しい冒険を始めませんか? 「MUST」の呪縛から自らを解き放ち、「WANT」という心の羅針盤が指し示す方へ、一歩を踏み出してみましょう。
人生の後半戦。それは、誰のためでもない、あなた自身が主役の物語。その豊かさは、きっと、あなたの「やりたい」の中にこそ隠されているはずです。

