
心に鎮座する、一体の仏様
もしかしたら、あなたの心の一番奥深い場所にも、一体の観音様が鎮座しているかもしれません。それは、きらびやかに輝き、無数の手を広げ、その一つひとつの手に何かを固く、固く握りしめている観音様です。
私はその仏様を、敬意と少しばかりの皮肉を込めて「欲望千手観音」と呼ぶことにしましょう。
ミッドライフ・クライシス 80%の人が襲われる“しんどい”の正体人生前半という「獲得」の旅路と、観音様の誕生
思い出してみてください。あなたが夢中で駆け抜けてきた、これまでの人生を。
特に人生の前半戦は、誰もが「獲得」という名の冒険に明け暮れる時代と言えるのではないでしょうか。社会という荒波に漕ぎ出し、がむしゃらに努力を重ね、とにかくたくさんのものを両手いっぱいに掴み取ろうとする。まるで、空から降ってくる宝物を一つも取りこぼすまいとするかのように。
その手で掴もうとしたものは、人それぞれでしょう。
ある手には、社会的な「地位」や他者からの「評価」。
またある手には、汗水流して手に入れた専門的な「知識」や、積み上げてきた「資産」。
そして、競争に打ち勝った証である「勝利」のトロフィー、愛する「家族」との温かい時間、世間に認められたという実感を与えてくれる「名声」…。
一つひとつは、あなたの努力と情熱が結実した、かけがえのない宝物です。その積み重ねが、やがてあなたの内なる世界に、巨大で荘厳な「欲望千手観音」を築き上げていくのです。その観音様は、あなたがこれまで生きてきた証そのもの。その輝きは誇らしく、あなたに達成感と自己肯定感を与えてくれたはずです。
しかし、その無数の手が掴んだものが増えれば増えるほど、観音様は重くなり、時にその重さが、あなたの心を少しずつ、しかし確実に圧迫し始めていることに、あなたはまだ気づいていないかもしれません。
37歳、人生のサウナで「ととのう」時
さて、ここで少し、独断と偏見に満ちた話をさせてください。
人生の後半戦は、一体いつから始まるのでしょうか?
私は、その節目は「37歳」ではないかと考えています。36歳はまだ30代半ばという響きがありますが、38歳になれば、もう40代はすぐそこ。まさに「アラフォー」と呼ばれる年代に突入します。
何を隠そう、私はサウナが大好きでして、心と体をリセットする「ととのう」感覚をこよなく愛しています。だからこそ、「37(サウナ)歳」という年齢は、人生という長い道のりの途中で一度立ち止まり、熱い蒸気の中で汗を流し、水風呂で心身をシャキッとさせ、そして外気浴で深く自分と向き合う…そんな「ととのい」のための、理想的な転換点に思えてならないのです。
この頃になると、多くの人が身体的な変化をはっきりと感じるようになります。若い頃のように徹夜ができなくなったり、お酒が翌日に残ったり、ふとした瞬間に鏡に映る自分に白髪を見つけたり。気力はあっても、身体がついてこないという、もどかしい感覚。
それと同時に、心にも変化が訪れます。
この時期こそ、これまでがむしゃらに築き上げてきた、あの「欲望千手観音」を、少し離れた場所からじっくりと俯瞰して眺めるべき理想的なタイミングなのです。
「なるほど、私の前半戦は、こういうものを欲し、こういうものを掴み取ってきた人生だったのだな」
そうやって、獲得してきたものを一つひとつリストアップし、目の前に完成した観音様を客観的に評価する。そこで初めて、人生前半で確立された自分自身のアイデンティティを、改めて深く認識し、再評価することができるのではないでしょうか。37歳とは、そんな内省の時間を私たちに与えてくれる、貴重な節目なのです。
見過ごされる転換期と、心に生じる「ズレ」
しかし、現代を生きる私たちは、この大切な転換期を、ともすれば見過ごしてしまいがちです。
晩婚化が進み、キャリア形成の時期が後ろ倒しになる。あるいは、自分が「何者」であるかを確立できないまま、モラトリアムの時間を長く過ごしてしまう。SNSを開けば、同世代のきらびやかな成功譚が目に飛び込んできて、「自分もまだまだ獲得しなければ」という焦燥感に駆られる…。
様々な要因が重なり、本来ならば内省と自己評価に入るべき37歳という節目を、気づかぬうちに通り過ぎてしまうのです。
その結果、どうなるか。
38歳、39歳、そして40代に突入してもなお、心は人生前半の「獲得フェーズ」に囚われたまま。身体や価値観は確かに変化しているのに、行動様式だけが過去のままアップデートされない。ここに、本来あるべき姿との「ズレ」が生じ、なんとなく満たされない感覚や、漠然とした生きづらさ、正体不明の焦りとなって、私たちの心を蝕んでいくのです。
人生後半の美学 ~「手放す」勇気と再構築のプロセス~
もし、あなたが人生の転換期を迎え、ご自身の「欲望千手観音」と向き合うことができたなら。その翌日から、新たな、そして少し勇気のいる作業に取り掛かってみませんか。
それは、千手観音の一本一本の手が掴んできたものを吟味し、
「これは、今の自分にとって本当に必要なものだろうか?」
「ひょっとすると、これはもう、いらなかったのではないか?」と
自問自答し、不要だと判断したものを、その手から丁寧にもぎ取っていく作業です。
人生の後半戦は、獲得ではなく「取捨選択」のステージです。
時代に合わなくなってしまった古い価値観。他人によく見られたいという「見栄」や「優越感」のためだけに手に入れたもの。本当はもうやめたいのに、惰性だけで続けている人間関係や習慣。
それらを手放すのは、簡単なことではありません。なぜなら、私たちは執着する生き物だからです。特に、苦労して手に入れたものであればあるほど、失うことへの恐怖は大きくなります。何より、手に入れる「獲得フェーズ」の方が、目に見える達成感があり、単純に楽しいからです。
若い頃は、人生を豪華なデコレーションケーキのように捉えがちです。他人と比較して、自分のケーキがいかに大きく、きらびやかであるかに一喜一憂します。
しかし、人生の後半戦で求められるのは、全く異なる美意識です。そこから不要なクリームや飾りを一つひとつ取り除き、本当に質の良いスポンジと、選び抜かれた果物だけを残していく。そんな、素材の味を最大限に活かした、簡素で洗練された美意識です。自分だけのペースで、自分にとって本当に必要なものだけを選択し、人生を再構築していく。そのプロセスこそが、後半戦の醍醐味なのです。
「喪失」こそが、真の豊かさへの扉
私たちは今、飽食の社会に生きています。お金を出せば、大抵のものは手に入り、簡単に満足感が得られます。刺激的な情報に触れれば、脳内ではドーパミンが放出され、手軽な幸福感を味わうことさえできます。
だからこそ、その流れに逆行し、自らの意思で「手放す」という「喪失フェーズ」を経験すること。それこそが、中年期に訪れる精神的な危機、いわゆる「ミッドライフクライシス」を乗り越えるための、本質的な課題ではないでしょうか。
何かを手放すことは、喪失であり、痛みも伴うかもしれません。しかし、その先に待っているのは、空っぽの虚無ではありません。
不要な荷物を下ろしたことで得られる、圧倒的な身軽さ。
数多くのものを手放したからこそ、くっきりと輪郭を現す、本当に大切なものの価値。
そして、何者でもない、ありのままの自分自身と向き合う、静かで豊かな時間。
それは、ガラクタで埋め尽くされていた部屋を片付け、本当に好きな家具だけを置いた、風通しの良い空間のような心地よさかもしれません。
もう一度、あなたの心の中を覗いてみてください。
そこに鎮座する「欲望千手観音」は、どんな顔をしていますか?
どの手から、あなたは手放していきますか?
その観音様との対話こそが、あなたの人生の後半戦を、より深く、より豊かにするための、最初の、そして最も大切な一歩となるはずです。

