
突然ですが、あなたは自分のことを「器用な人間」だと思いますか?
それとも、私のように「不器用な人間」だと感じていますか?
世の中には、驚くほど要領が良くて、何でも軽やかにこなしてしまう「天才」と呼ばれる人たちがいます。まるで魔法のように、パッと素晴らしいアイデアを閃いたり、誰もが手こずる問題を鮮やかに解決したり。その姿は眩しく、憧れの的ですらあります。
翻って、私はどうでしょう。残念ながら、そんな才能には恵まれませんでした。ひらめきで勝負するなんて、夢のまた夢。だから、私にできることはたった一つでした。
そう、誰が呼んだか「コツコツバカ」。
石を一つひとつ積んでいくように、レンガを一段ずつ並べていくように。ただひたすらに、愚直なまでに、目の前のことに取り組み続ける。それしか、私にはできなかったのです。
しかし今、折り返し地点を過ぎたであろう人生をふと振り返ってみると、驚くべきことに気づかされます。あの不器用で、泥臭い「コツコツ」という習慣こそが、他の何よりも確かな、私自身を支える最も大きな力になっていたのだ、と。
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若い頃の私は、お世辞にも自分に自信があるタイプではありませんでした。
むしろ、自己肯定感は限りなく低く、「自分なんて大したことない」という思いが常に心のどこかにありました。だからこそ、実力以上の評価に慢心することなく、ただ無我夢中で目の前のことに打ち込むしかなかったのです。
「もっとうまくやれる方法があるんじゃないか?」
「こんなことを続けていて、本当に意味があるのだろうか?」
そんな迷いが頭をよぎらなかったわけではありません。しかし、器用な立ち回りができない私には、結局「続ける」という選択肢しか残されていませんでした。一歩進んで、また一歩。その繰り返しです。
それはまるで、先の見えない暗いトンネルを、手探りで進むような日々でした。しかし、その愚直なまでの習慣は、私が気づかないうちに、着実に私を前へと押し進めてくれていたのです。
そしてある日、ふと顔を上げてみると、信じられないような光景が広がっていました。自分が登ってきた道がはるか眼下に続き、その先には、かつての自分では想像もできなかったような、広大で美しい景色が広がっていたのです。
もちろん、ここで「やり遂げたぞ!」と慢心するつもりは毛頭ありません。
この経験は、私にゴールテープを切らせたのではなく、むしろ、これから先を生きていくための、かけがえのないコンパスを与えてくれました。
何かを成し遂げるために必要なこと。それは、特別な才能や魔法ではなく、たった3つのシンプルな原則なのだと、私はこの身をもって学びました。
1「時間が必要であること」を理解すること。
インスタントラーメンのようにお湯を注いで3分で完成する成功など、この世には存在しません。じっくりと時間をかけて熟成させるウイスキーのように、本物の力は時間をかけてこそ育まれるのです。焦りは禁物。成果が見えなくても、その時間は決して無駄にはなりません。水面下では、太く、たくましい根が着実に伸びているのですから。
2「それを習慣にすること」
「よし、頑張るぞ!」と歯を食いしばって意気込むうちは、まだ二流です。本当に大切なのは、歯磨きや入浴のように、それを生活のサイクルに組み込んでしまうこと。「やらないと気持ちが悪い」というレベルまで昇華できた時、努力は努力でなくなり、あなたの血肉となります。
3「失敗しても諦めず、すぐにやり直すこと」
これが一番難しいかもしれません。でも、失敗とは「このやり方ではダメだった」という貴重なデータが取れただけの、成功への一歩です。落ち込むのは5分だけ。そこで立ち止まらないでください。転んだら、すぐに起き上がって、服の泥を払い、また歩き出す。その打たれ強さ、そのしなやかさこそが、「コツコツ」を支える最も重要なエンジンになるのです。
私はこれからも、この3つの原則を道しるべに、人生という道を歩んでいきたいと思っています。
中年になって、初めて見えてきた景色
若い頃、テレビで往年の名スポーツ選手が引退会見を開いているのを見るたびに、私は無責任にもこう思っていました。
「まだ30代じゃないか。もったいないな、まだやれるだろうに」と。
華々しいキャリアを自ら閉じる彼らの決断が、当時の私には理解できなかったのです。
しかし、自分がその年齢に近づいてきたいま、あの頃のヒーローたちが抱えていたであろう、言葉にできない葛藤が、痛いほどわかるようになりました。
自分の全盛期を知っているからこそ、ほんのわずかな衰えにも敏感になる。かつては10割の力で打てていたヒットが、9割になり、8割になり…。自分の打率や成功率が、ほんの少しずつ、しかし確実に下がっていくのを感じるのです。
そして、すぐ後ろからは、才能に満ち溢れた若者たちが、がむしゃらな熱量をほとばしらせながら、ものすごい勢いで迫ってくる。
その眩しさに目を細めながら、嫉妬と焦りと、そして一抹の寂しさが入り混じった、複雑なモヤモヤを胸に抱えることになるのです。
これは、スポーツ選手だけの話ではありません。仕事でも、趣味でも、あらゆる場面で、私たち中年は同じような壁にぶつかります。人生の後半戦、このまま同じやり方で走り続けることへの限界を感じ始めている。あなたにも、そんな瞬間はありませんか?
人生の後半戦、私たちはどんなサイクルで歩むのか?
もし、今の自分から何かを変えたい、このモヤモヤを晴らすヒントが欲しいと願うなら、私は「本を読むこと」を心からお勧めします。
なぜ、本なのか。
それは、本が、他人の人生や何百年もの知恵を追体験できる、最も手軽なタイムマシンだからです。たくさんの本を読んでいれば、その中に必ず、今のあなたの心にフックのように突き刺さる言葉がいくつか見つかります。
「量をこなすうちに、おのずと質は高まる」
これは読書にも言えることです。たくさんの言葉のシャワーを浴びることで、凝り固まった自分の価値観が少しずつほぐれていき、やがて自分が本当に進むべき方向性が見えてくる。暗闇の中で探し物をしている時に、誰かがパッと懐中電灯で足元を照らしてくれたような、そんな劇的な出会いが、本の中には待っているのです。
人生の前半戦は、がむしゃらでした。会社や社会が用意してくれたPDCA(計画・実行・評価・改善)というサイクルに乗って、スキルを磨き、がむしゃらに成長してきた実感があります。それは、明確な頂上が見える山を、地図とコンパスを頼りに登っていくような旅でした。
では、人生の後半戦は、どんなサイクルで歩んでいけばいいのでしょうか?
頂上が一つではない、どこへ向かってもいい広大な平原を旅するような、人生の後半戦。そこに必要なのは、PDCAとは違う、新しい自分だけのサイクルなのかもしれません。
その答えは、まだ私にも見つかっていません。
でも、きっとそのヒントは、これまでと同じように「コツコツ」と本を読み、考え、試してみる、その先に待っているのだと信じています。
あなたにとっての「人生の後半戦を歩むためのサイクル」とは、一体どんなものでしょうか。
よろしければ、一緒に探してみませんか。この果てしなく面白い、人生という冒険の地図を、これから共に描いていきましょう。

