人生は登山(成長)に似ている

社会人生活では
・5合目→愛をはぐくみ家庭を持つ
・6合目→社会的地位、居場所を確立し財産を築く
・7合目→家を購入や家長となり邁進する
・8合目→資産運用や健康管理、子どもの教育の義務を果たし公私社会的責任も果たす
・9合目→ローン返済、借金負債の返済終了、余剰資金の活用
今思えば実は8合目あたりから準備期間として、後進への援助、世話、親の介護の準備、仲間の獲得、筋肉の獲得、獲得「手に入れるモノ、コトへの棚卸し」を完了させ、かつ手放すことを受け入れる期間だったのかもしれない。
今まで登山で背負ってきた必要と思っていた役割(ペルソナ)という重荷を10合目前にリュックを降ろす作業を模索し始めなくてはいけない時期でもあったと思う。
仕事の忙しさに忙殺されて内省を怠ったり、成長を続けられる幻想を手放せないでいると中年の危機をこじらせる原因となるのかもしれない。
・10合目(登頂)→気づかないうちに登り(成長)のベクトルが終わり頂上の広い空を眺めても空虚。
あれだけ頑張って多くのモノ、成功を手に入れ充実感にあふれるのかと思いきや、むなしさが先行。
頂上から下界を見下ろしこれから登って来る後進に目を向けるも、見下し(みくだし)からくる自己陶酔に自己嫌悪。
山頂の火口淵を周回するも今まで頑張ってきた登りの苦しみがない分フラットで充実感無し。
登り(成長)のベクトルが習慣化されていてかつ摺りこまれていたので
今更下降ベクトルに持っていくことに戸惑いが生じる。
自身の自信に揺らぎが生じ喪失と下降を受け入れなくてはいけないことは分かって要るのだけど
受け入れがたい。
結局9合目までの一般的に常識だと刷り込まれてきた努力や成長は虚構ではなかったのか。
46歳からはこんな自問自答の日々。
そんな思いから突発的に全部捨てたくなる(引き返したくなる、最初から始めたくなる)衝動に駆り立てられる。
そんな年頃。

